今日は北海道の方はよく知っていながら、それ以外の方はよく知らない歴史紀行のお話しです。北海道で歴史紀行?なんて思っている人は見てください。
北海道に歴史なんて無いと言われて久しいです。果たしてそうでしょうか?古代には縄文アイヌ文化が、近代には開拓の歴史があります。明治維新からすでに150年を越えており、そろそろこの地の歴史にも注目した方が良いのではと思います。北海道の近代史を学ぶ上で最も臨場感があるのが北海道開拓の村です。アイヌと縄文については世界文化遺産に指定された関連もありこれは別途お話しなければなりません。今回は近代史です。ここ北海道開拓の村には100年前以上の建築物が保存されております。つまりここへ来れば昔の北海道を旅行できます。訪問者は道内の子供連れが多いですが、やはり地元の歴史教育の一環であると思います。なぜか異国に来たような感じに包まれるのはなぜでしょうか?
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下記は北海道開拓の村の地図です(なぜか中国語簡体字ですが、日本語はその下のURLから見れます)
https://www.kaitaku.or.jp/ 北海道開拓の村HP 入場料や営業時間はこちらからどうぞ
https://www.kaitaku.or.jp/assets/pdf/cmap.pdf
上記URLは日本語マップ
敷地面積は広く1日中遊べます。札幌から近いです。子供連れで旭山動物園も見た、札幌はどこへ行こうかとお迷いの方、ここは非常に面白いです。特に歴史や建築に興味のある方は必見です。私が教員ならば修学旅行での目的地の一つにしたい場所です。
ここは榎本武明や土方歳三が函館戦争で新政府軍を駆逐して解放した蝦夷共和国ではないかと思われるところです。開拓村の案内員の制服が共和国保衛隊員の様な服装ですね。親切に開拓の村の全貌を教えて貰いました。最後の写真に白馬の馬車があるのですが、これが現在でいう市バスと地下鉄に相当する交通アクセスじゃないでしょうか。現在の道内アクセスはJRや飛行機というよりも長距離バスが主体になっているような気がしますが、昔は馬車だったのです。開拓の村は昔の都市部、平野の農村、牧場、漁港と山間部に分かれて展示されております。じっくり見ると1日かかります。
ここは布染のお店です。店員が秋のお祭りの準備をしておりました。この焦点は明治時代の様子を復活しておりますが、江戸時代の影響が色濃く残っているような気がします。藍染は昔基幹産業だったのです。繊維の生産手段はハンドメイドであり、現在ではVIP用ブランド品向けの高級品の代名詞になっております。しかし大量生産方式が導入される前の時代は、一つ一つ手作業で作らざるを得なかったのですね。藍染の化学染料を使用していなく、すべて天然由来の素材を使用しております。これは現在では貴重な材料です。自然に触れる機会が多かった昔は、そこら中に毒虫や蚊等がおり、藍染の布の防虫効果がすごかったと思います。150年前はユニクロもなく、庶民が着る唯一の衣服であったのです。繊維が歴史的に如何に重要であったかをここでは学べます。
ここは北海高等中学(高校)の建物でした。非常に懐かしい建造物で、神戸異人館同様の西洋建築物です。説明の方が言われるには、維持費用が馬鹿にならないそうです。旅行会社からの送客に加え、途切れないような送客の仕組みを考えないと維持が難しいようです。伝統的な古い街並みの保全は、やはり色々な方に見て貰わなければならないと思います。
ここは札幌師範学校の武道場でした。一見するとお寺に見えます。話は飛びますが北海道のお寺は、寺の様ではありません。外国映画で北海道の葬儀の様子がありましたが、そのお寺は本州で見る寺とは違っておりました。ここでは昔多くの学生が広い道場で鍛錬をしていただろうなあと感心しました。私も昔、町道場で合気道をやってましたが、道場が狭く練習生が多くケガが絶えませんでした。ここの設備は非常に羨ましい規模の道場です。
開拓村の中になんとリンゴ園があります。外国人観光客はリンゴ狩り以外にそこらじゅうで日本のリンゴを喜んで買っておりました。なんでも本国と糖度が異なると言ってました。北海道はリンゴの一大産地です。見ているとリンゴ狩りに行って食べ放題をやって、持ち帰りたいと思いました。スーパーで買うリンゴより数段美味かったのはやはり品質の問題ではなかったかと思います。
当地には昔屯田兵制度がありました。明治に入り封建主義の主役であった武士は存在意義を無くしました。中世以降武力の分野で時代を引っ張ってきたのですが、軍隊制度に取って替わり、戦争の方式も変わりました。世界が帝国主義の時代に入り、武士は失業して西郷隆盛の西南の役が勃発しました。新政府はその失業対策として屯田兵制度を導入したのです。少しの土地(本州からすると膨大な土地)を分け与え自力更生で生きていく方法です、家屋は粗末な開拓小屋、衣服は夏しか着れないような服。特に気候は非常に厳しく冬の気温はマイナス20-30度、ヒグマ等野生動物も多く、当地は元々アイヌ民族の土地ですべて森林でした。侵略者のエージェントである屯田兵に対し、ヒグマは襲うアイヌも襲う、非常に困難な中で生きていったのです。現在屯田兵の子孫はどうなっているのでしょうか?北海道では屯田兵の子孫は富裕層や準富裕層に属し、広い土地で特に近代農業と競馬馬育成等儲かる事業を展開していると北海道在住の友人が話しておりました。そう言えば北海道が全国に誇る特産品の中にはプレミアの付く農作物やG1で有名な競馬馬の生産等独特の産品があります。なんかアメリカの西部開拓のお話しを聞いているように感じました。
これが白馬車です。昔「すすきの」にこういう名前のスナックがありました。由来はこれかと思いました。これは今でいうバスです。乗車賃は大人250円子供100円であったと思います。思ったのですが、すすきののチンチン電車も昔は馬が引いていたのでは?馬車バスに乗っていると時間がゆったりと流れます。雲の無い澄み切った青い空の下幸福な時間が流れました。ここ北海道開拓の村へは札幌からのアクセスは幾つかあります。札幌からの直行バス20分、地下鉄新札幌駅のCホームで北海道開拓の村行き約15分です。